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 私 GSKの音楽活動の履歴を記したページです。

音楽制作をメインとした音楽歴

聴き専の黎明期・・・根っこはここです

 自分が、音楽という物に興味を持ったのは、ファミコンのバックで鳴ってる音楽、すなわち、ゲームミュージック(以下「GM」))と呼ばれるものです。まぁ、それ以前に、ピアノを習い始めてますが、結構練習とかしてなかったし、「曲を聴く」ということに関しては全然でした。
 自分らの世代だと、ファミコンが流行りだしたのは、小学校の高学年の時で、GMを聞き出すようになったのは、あの「ドラゴンクエスト」からですね。それが、だいたい中学校に入ってからでした。で、初めて買ったテープ(その頃はまだCDはなかったはずです。あったとしても、一般に普及してなかったはず)が「交響組曲ドラゴンクエスト3」でした。その頃は、なんせ他に聴く曲がなかったので、ずっと延々と繰り返して聴いてました。その頃は「歌謡曲なんかどこが面白いんだ?」と、全く耳を貸さない状態でした(苦笑)

 そうこうするうちに、ようやくCDが世に広まりだして、初めて買ったCDがこれまた「ALL SOUNDS OF FINAL FANTASY I・II」!またもや、延々ループ猿状態です。
 今につながる話としては、、、最初と最後の曲の、シンセサイザーでのアレンジはほんとによく聴いてました。ジャケットを今になって見直すとなかなか面白いことが書いてます。使用機種という欄には「D-50、D-550、MKS80、DX7IIFD、S900、S1000、Prophet5、EmulatorII、PC-9801VF2」・・・う〜ん、作られた時代が垣間見えてくる感じですね(笑) まぁ、この欄を見たという当時の記憶はないんですけどね(^^;(見ても意味がわからなかったと思う)
 しかしまぁ、今ゲームミュージックのアレンジをしているのは、、、この時の「ゲーム音楽のシンセによるアレンジ」に感銘を受けた、ということが大きく占めていると思います。

 その頃、レンタルしてきたアレンジ物のGM「TOY MUSIC」(すでに廃盤です・・・(^^;を聴き、衝撃を受けました。
 この作品、最近知ったのですが、かのYMOの四人目のメンバーと言われた松武秀樹氏が主宰するユニット「ロジックシステム」+プロデューサー松本隆という組み合わせで制作されたようです。今でさえこの大胆なアレンジはすばらしいと思います。世界観をただ推し進めただけのアレンジとは一線を画し、かなりひねりが効いているがそれでいて破綻していないというすばらしいアレンジだと思います(おかげで、現在目指しているのは、世界観を壊さず一ひねりしたアレンジ、って感じでしょうか)。

 高校入学後、1年生の冬くらいにコンポ(SONYの「MHC-P99X」という初代のPIXYです))を買いました。この頃、ラジオを聴くようになり、耳に入ってきたユーミンの曲を聴き始めたのが、J-POPというか、歌物を聴くようになったキッカケです。それでも、あまり歌物は聴きませんでしたね。聴いたのは、「松任谷由美」「B'z」「徳永英明」「Dreams Come True」「リンドバーグ」と、今の自分のかけらくらいしか面影無いです(笑)

 そして、大学に入学し、衝撃的とも思える出会い・・・「TM NETWORK」です。すでに、聞き始めた頃は、解散して、「TMN BLACK」というアルバムを発売していました。そして、それを購入して、かの「小室哲哉」氏と出会ってしまったわけです(汗) その影響はすさまじく、一時期は先生が手がけているCDほとんど購入猿状態でした(爆)
 その頃から、GM、邦楽の区別なく聴くようになりました(でも、洋楽はいまだにほとんど聴かず。ただ、以前と違い毛嫌いはしなくなりましたが・・・)。当時の小室氏の楽曲は、ヒットチャートを接見していたのもあって、最新ヒットチャート猿に・・・(爆)

音楽を創る側に・・・DTM時代

 大学3年の夏、警備のバイトをしたときに、そこで出会った人々の影響を受けて、打ち込み、すなわち「DTM」というものをし始めました。ちなみに、そこで出会った人は「ドラマー」「ギタリスト」で、キーボード系の人じゃなかったりします(爆)

 そして、1995年8月に、YAMAHAの「MU50」を購入しました。これを買った理由が「コストパフォーマンスの良さ」です。その頃は、GS、XGの区別なんか全く付かず、「なんじゃこりゃ?」状態(爆)詳しい人もおらず、カタログスペックを頼りに、音色数やエフェクト数、XG音源では「GS規格」の曲も再生できるらしいとかいう、対応フォーマットの多さにつられて、結局MU50を・・・(笑)
 しかし、もしかすると、この選択が良かったのかもしれず、DTMの世界にのめり込みました(笑) さらに、XG規格に入れ込んでます(笑)

 そして、1996年3月にパソコン通信を始めます。これは、「一人でDTMをやるのはつらい」とか、「通信ではDTMをやってる人が多くいる」とか、「通信という物がやってみたい」という、興味本位の理由などが、通信を始めた理由です。
 最初は「Unison-BBS」という音楽系ネットが家から近かったので、会員となり、通信のおもしろさを知り、7月にネットを自分で開局してしまいます(実際は5月に実験的にやり始めた)。このとき、UnisonBBSにて「いしさん」「がんま」さんに出会いました。

 そして、MU50という機種で限界を感じ(通信での流通はMU80の方が多い)、1996年8月に、YAMAHA「MU80」に乗り換えます。同時に、ALESISの「D4」を購入します。ただ、まだまだコピーメインで、オリジナルなんて全く作ったことなかったです。
 ちなみに、この時3rd YAMAHA XG DATA CONTESTに応募してます。結果は「まぁまぁ」でした(汗)

 1997年8月にMU80を売却し、MU100Rを購入。ついでに、YAMAHA SOUND WORLD '97に応募してます(笑)

いよいよ本格的な活動に・・・宅録バンド時代

 さて、このあと、大きな転換期を迎えます。1997年11月にバイト先の人(すみやん)とユニットを組みます。機材も大量に運び込み、Studio御影山手を名乗るようになりました(笑)
 ユニットを組んだばっかりの頃は、コピーとかが多かったです。慣れる、という目的もあったんですが・・・。
 で、同時に遊びで「sky project」というユニットを結成します。これはバイト先の人間とで結成したもので、歌ネタはバイト先の人間で、基本的にジャンルはハードロック&メタル系。一応CD一枚分曲を集めてCD(CD-R)にしています。一部の人にはかなりウケがよかったですw

 さて、相棒がローンを組んで大量に機材を導入します。これが、年末と春です。年末には自分もCD3000iを買ってます・・・ただ・・・これよりTR-Rack買っておけば、とちょっと後悔(^^;
 また、1998年2月にRoland SoundExpansion三台を知人から購入しています。

 思うようにユニットが進まないのですが(というか、じっくりと取り組むことにしただけですが・・・)、1998年5月にそれまでのPC-9821Xs/C8Wから自作のAT互換機に音楽制作マシン&メインマシンを乗り換えます。

 次に、1998年10月にStudio御影山手はユニットのスタジオとしての機能を終了し、Studio魚崎として移設します。そして、Studio御影山手は再びGSKのプライベートスタジオとして再出発します。

そして、ここから今に繋がる・・・MuToPiA LABELの立ち上げ〜今に至る

 もちろん、1998年の夏には恒例のごとくYAMAHA SOUND WORLD '98に応募もしてます(笑) ・・・あまり結果はよくなかったですが・・・。
 1998年の冬コミを初売り目標に「MuToPiA LABEL」を立ち上げてCDの制作に本気で取りかかりました。そして1998年12月、MuToPiA LABEL第一弾「feuille」マスターアップ。しかし、ジャケット担当者の背任行為とも取れる行為により、ジャケットが長期にわたって完成しませんでした。とりあえず、元々の企画をしていたネットの方でも「今年(98年)こそはなんとかする」と宣言してましたのが、半分実現したと言うことで。ただ、そのネットも1999年8月に閉局となってしまいました。
 ちなみに「feuille」提供楽曲は1曲「sunset glow」。PuretyChildrenから2曲「Reborn the Night」「Purety Children」。

 1999年の春くらいからテクノを聴くようになりました。これに関しては、いしさんを師匠と拝んでます(笑) また、使えないAkaiのCD3000iは売却の運びと・・・。

 1999年8月にStudio御影山手を大幅に拡張しました。デジタルミキサーとして、RolandのVM3100、メインキーボードにKORG TRITON pro(拡張ROMは「Pianos/Classic Keybords」)、メイン音源にE-mu Proteus2000、MIDIインターフェースにOpcodeのStudio64xとMIDI Port32を導入しました。また、マシン二台構成により、パソコンを二台同期させてシーケンサーとHD-Rの制御ができるようになりました。それにより、「Studio御影山手」改め「MuToPiA Studio」と改名しました。

 1999年12月のクリスマス、TRITONの音色拡張ROM「DanceExtreme」を購入。これに伴い、Rolandの「M-DC1」はいしさんに売却。

 1999年の暮れに、当初より大幅に遅れましたがSQUARE製RPGゲーム「ファイナルファンタジー」シリーズのアレンジCD「isomorphism」をMuToPiA LABELで出しました。提供曲は4曲。「街 -Dancing P2k Mix-」「巨人のダンジョン -Kushikatsu 806.37 TRI Mix-」「深い碧の果てに -Sleeping Mix-」「おやすみなさい -Good Dream! Mix-」。sky projectとして1曲「The BLD+α-The Battle of Last Dangeon」。プッチピュアとして1曲。「Introduction -FF World of MuToPiA-」。

 2000年4月に就職し(音楽とは全く関係のない会社です)、東京に引っ越しました。このときに、モニタースピーカーとしてSONY「SMS-1P」を購入します。

 結局2000年5月くらいにジャケット担当者からあずけていたお金を取り戻し、ジャケットを制作し始め、いろいろと紆余曲折を経た後、2000年8月にジャケットがあがります。また、その勢いでコミケ58では「feuille」「isomorphism」委託販売を行います。

 2000年12月、モニタ用ヘッドホンSONY製「MDR-CD900ST」を購入します。

 2000年12月。とうとうコミケでブースの確保に成功します。12月30日、コミケ59の二日目に自ブースにて新作「WaveConnection」を販売。また、旧作「feuille」「isomorphism」も販売します。ちなみに、「WaveConnection」への提供楽曲は2曲「WaveConnection」「rentroid」。すみやんとのユニット「PuretyChildren」として1曲、「地球、、、(ほし)」。

 2001年8月。desidesign製「digi001」購入。これでDAW環境が揃います。また、マイク(RODE NT1)購入。マイクスタンド、ポップガード等も購入。ついでに、パワーディストリビューターも購入。

 2001年9月。ラックを購入。サイズは12U。またWaldorf「microQ」(黄色)を購入します。またこの後忙しくなり、音楽活動は一時潜伏状態になります。ちなみに、地道に「must!」へ提供した曲もこの頃に1曲作っています。

 2002年8月。コミケ62の自ブースにて新作「must!」を販売(旧作も販売)。「must」への提供楽曲は3曲。「女の子1のテーマ -Dancing Girl Mix-」「終焉の中の特異点 -Ringer EDIT-」「コズミック・ラン -Magical Crush Mix-」、及びsky projectから1曲「通常BGM・休日 -Guitarish Mix-」。

writed by GSK 2002.11.8

 2003年1月。結婚。環境ががらりと変化。

 2003年8月。コミケ用に新作ができず、Preview版ということでお茶を濁す。
M.S氏主宰の「MEGAふぇっぷす」にて「Retro染色体」に参加。提供楽曲は「マトーヤの洞窟 - Awakening And Dancing Mix -」。コミケにて頒布。

 2003年11月。ProToolsLE6.2(WindowsXP)へバージョンアップ。

 2003年12月。コミケ65の自ブースにて新作「Punctured」を販売(旧作も販売)。「Punctured」への提供楽曲は1曲。「NoReaSoN」。
 また、「SingerSongWriter8.0VS」「RMIV」を購入。VSTiに目覚める。

 2004年1月。MuToPiA LABELアクティブ化宣言。WEBでの活動を徐々に増やすと宣言。

 2004年2月。SSW8.0VS+VSTiを駆使した「ツインビー Short And Rough Mix」をMuToPiA LABELにアップ。

 2004年3月。Proteus2000の拡張サウンドROMをアメリカから直輸入。それぞれ3枚ずつ(「Protozoa」「X-Lead V2」「Beat Garden」)KeNjiくんと格安で購入。

 2004年4月。M.S氏主宰のLyrical@Musikの新作に1曲提供。「Flower of Innocence」。90%をVSTiで構成。頒布は5月のM3。

 というわけで、現在の音楽活動に至ります。腕はまだまだ未熟で、どちらかというと機材先ですね。これからもこの機材が生かせるように活動を継続したいと思います。

writed by GSK 2004.4.2

 2004年5月。M3にてMuToPiA LABELとしてファミコンアレンジ「CrossBridge」を頒布。提供楽曲は「ツインビー −青ベル5個Mix−」。これは以前MuToPiA LABELにアップした曲のバージョンアップ版。
広島へ長期出張。なんとかマンスリーマンションにPCとProteus2000を持ち込み作曲活動を行う。

 2004年10月。広島へ転勤。

 2005年4月。名古屋へ転勤。

 2005年10月。MuToPiA LABEL新作オリジナルアルバム「mixnuts」完成。提供楽曲は3曲「flicker of hope」「Over the Sky, through the Crouds-nuts mix-」とKeNjiくんの曲のアレンジ「High-Resolution X-tended Mix」。「flicker〜」の方は広島出張に作った曲で、Proteus2000をメインに使った楽曲。「High-Reso〜」は広島転勤時代に作った曲でReason2.5メインで作った曲。「Over〜」は名古屋時代に作った曲で、Reason3.0のみで作った曲。

writed by GSK 2005.10.30

 2005年11月。MuToPiA LABEL新作オリジナルアルバム「mixnuts」をM3-2005秋にて初頒布。さらに、同人ショップでの委託販売も開始。

writed by GSK 2005.12.13

 2006年1月。DIGI002Rackを導入(Factoryなのと、WAVESのmusicians bundleとVer7アップデートでsmack!LEとSlighetly Rude Compressorも入手)。ついでに、KORG Legacy Collection DIGITAL Editionも購入。しかし、DIGI002RackはIEEE1394ボードのチップがNECのため、まともに動作せず。ただ、OS再インストールも行ったため、しばらくまともに動かなくなっていたSingerSongWriter8.0VSがまともに動くようになった。

 2006年2月。MuToPiA LABEL新作アレンジアルバム「CrossBridge Re:Loaded」完成。提供楽曲は3曲「ディスコシステムのテーマ-Welcome to MuToPiA'n Mix-」「ツインビー −青ベル5個.Mix−」「新・鬼ヶ島 -Reasonable Tebasaki Mix-」とKeNjiくんとのコラボユニット プッチピュアから1曲「ゼルダの伝説 -みんなにはないしょだよMix-」。「ツインビー〜」は「CrossBridge」収録曲だが、若干Mixを変えてます。

 2006年3月。MuToPiA LABEL新作アレンジアルバム「CrossBridge Re:Loaded」を同人ショップにて委託販売開始。

writed by GSK 2006.3.18

 2006年5月。STEINBERGER GR4をユニット(活動停止中?)の相棒すみやんより譲り受ける(永久に借りてます)。が、チューニングノブが壊れてて、、、修理に出しました。この頃よりコンパクトエフェクターをちまちまと揃え始める。

 2006年6月。MuToPiA LABELにて、Podcasting配信によるラジオ番組「みゅ〜らじ」を開始。

 2006年7月。FOSTEXのMR-8HDを購入。8trのHD-MTRです。主に外で録音するための用途で購入。家ではギター入れに使っています。

 2006年8月。FERNANDESのRavelle Deluxe PSを購入。初めて購入した本格的なギターです。
また、「みゅ〜らじ第6回」にて「みゅ〜らじオープニング曲」(正式曲名はみゅ〜らじ第13回で発表しました。「Genuine SKy」)を発表。

 2006年11月。神(MSG)のライブに参戦。この頃からHM/HRを聞き始める。

 2007年4月。MuToPiA LABEL新作アレンジミニアルバム「SUPER CrossBridge Lite」完成。提供楽曲は1曲「StarFoxより Corneria-鮭缶Mix-」。M3にて初頒布。

writed by GSK 2007.6.23

 2007年9月。MuToPiA LABEL新作アレンジアルバム「SUPER CrossBridge」完成。提供楽曲は3曲「マリオカート -Welcome2MuToPiA'n Mix-」「StarFox Corneria -歪んだ鮭缶Mix-」「Pop'nツインビー 最後だ!行ってみよう -合い言葉はBee!Mix-」。「StarFox〜」は「SUPER CrossBridge Lite」収録曲だがMixが違います。M3にて初頒布。

writed by GSK 2008.1.13

 2008年3月。MuToPiA LABEL新作ミニアルバム「MiKuToPiA」完成。提供楽曲は1曲「おでかけしよう!」。M3-大阪にて初頒布。ちなみに、いしさん作詞・KeNjiくん作曲の「ねがいごと」のミク打ち込みも行った。

 2008年10月。横浜に転勤。ハードウェアのシンセはすべてしまい込む。マスターキーボードとしてTRITON proのみ残す。

 2008年10月。MuToPiA LABEL新作アルバム「MiKuToPiA2」完成。提供楽曲は1曲「flower of inoccence-MiKuMix-」。これ以外に、KeNjiくん作詞・作曲の「ぽてちおちゃん」、さすらいのスナフキンさん作曲の「空色」「渡り鳥の唄」のミク打ちも実施。M3にて初頒布。

writed by GSK 2010.5.3

 2010年08月。MuToPiA LABEL新作アルバム「MiKuToPiA3」完成。提供楽曲は2曲「Connect」「おでかけしよう!-more GTR Gumi Version-」。これ以外に、KeNjiくん作曲・いしさん作詩の「ねがいごと(Full Version)」のミク打ち、フルレングス化を実施。夏コミにて初頒布。委託販売も実施。

 2010年09月。同じ区内で引っ越し。相変わらずマスターキーボードのTRITON以外はしまい込む。

 2010年12月。MuToPiA LABEL新作アルバム「みゅ〜らじ音源集」完成。提供楽曲は2曲「新・鬼ヶ島-RTM-みゅ〜らじOpening edit」「Genuine SKy -Full Version-」。他にもいしさんの手によるPSG音源化曲「Genuine SKy -8bit edition-」も収録。冬コミにて初頒布。

writed by GSK 2011.7.3

 2011年8月。MuToPiA LABEL新作アルバム「CrossBridge AC」完成。提供楽曲は2曲「DigDug - Hoegaarden Mix-」「ファンタジーゾーン - Galaxy Hills mix -」。夏コミにて初頒布。

 2011年12月。CheerUp制作委員会より「CheerUp」を頒布開始。提供楽曲は1曲。「それでもきっと〜Will be the mirai」。冬コミにて初頒布。

 2012年4月。MEGAふぇっぷすさんから新作アルバム「レトロ染色体"S"」頒布開始。提供楽曲は1曲。「Target Infinity from スターフォース」。M3にて初頒布。

 2013年4月。LK-Networkさんから新作アルバムデモ「WhiteStage」を頒布開始。提供楽曲は1曲。「Winter Vacation」。M3-2013春にて頒布。

将来の音楽活動歴

 GSKオリジナル作品集の頒布。

 みゅ〜らじイベントの開催。

 みゅ〜らじ生放送。

 ぱっと思いつくところでこんなところかな・・・。